爆笑改造車

自転車で帰宅途中、信号待ち。

青に変わったその瞬間、

後ろの歩道側から原付きのエンジン音!

堂々と横断歩道を走るとはどんだけユニークなんだと振り返る。

だがそこには自転車の姿しかない。

ついに幻聴か・・・?

だがその刹那、けたたましいエンジン音と共に走り出す自転車!


そう。


自転車に原付きエンジンを載せているという優れもの。

方向が一緒だったもんでずっと後ろついてったが、

気が向いた時だけエンジン止めて足でこぎ始め、

坂道では車道を走ってるし。

電動自転車なんてメじゃねえよ?

だが姿は自転車そのもの。

後ろ走ってる車も焦ってたろうな。


ってか笑った。

並行して彼女っぽい女性が走ってたがやっぱり笑ってたし。

こういうユニークなやつと一緒だとさぞかし楽しいだろうな。

自転車の上からだとゆれのために安定せず、

写真をとれなかったのが悔やまれるところ・・・。

握手会 @関西 8月23日(土曜日)

というわけで、

約2年ぶり?に関西で

「たーぼー握手会」を行います。(・∀・)



8月23日(土曜日)

場所:難波or梅田or四条  だと思う。

時間:夕方開始〜朝まで (朝からでもいいよ^^)



途中参加も途中抜けももちろんOK。

俺が知ってる人でも知らない人でもOKOK。

とりあえず大まかな参加者を知りたいので、

参加希望者は来れる来れないにかかわらず連絡下さい。

ついでに希望場所とかオススメ店とか教えてくれると

非常に嬉しい!


よろしく!!!

小池栄子が

最近マスマス好きになる。


今朝めざましテレビで結婚披露宴の報告を見たが、

恒例の「指輪の値段いくらですか?」という

人間の精神性のすさまじく下劣なところを表す

質問に対して上手く交わしていたのはさすがだと思った。

俺的にあそこで正直に答えるのはアウト。


セレブってやつを目指したがる人が多いが、

1億のダイヤ自慢したり100万の料理で喜んだり、

なんか勝った気になるのかなー。

金を稼ぐのは大いにけっこうだが。

本当の貴族ってやつは金の話は決してしないし、

高い服買って自慢気に歩いたりもしないし、

子供に金を与えたりもしない。

正に品格ってやつが決定的に違うよね。


飲み会でも、学歴自慢も仕事自慢もいいが

金の話始めるやつばっかりはドン引きするわ。

仲良ければ別だが。


うん。いい女だ。(*´x`*)(結局そこ

三連休

まさか三日とも外泊するとは思わなかった・・・。

終電乗り過ごし→ オール → 終電失い捨てられる

の三連コンボ。


うん。4日目は楽しかったが俺の肝臓が酒だけは

受け付けなかった。微妙に暗くてごめんよ。(笑)

2〜3日は休肝日になりそうです。






なんだろう。

この4日間、色々な人の声を聞き、会い。

色々な話が聞けたし、また語りまくった。

俺の人生に多大な影響を与えてるだろう声も聞くことができ。

こいつらから幸せも、喜びも、苦しみも、悲しみも

もらったのを思い出すと。


実に刺激的。

周囲が変化しているように、やっぱり俺も変わっているのか。

今自分が立てている基盤の再確認。

自分が思っている以上に俺は強いのかもしれない。

そりゃそう簡単に倒れはしないよな。

柱になりたいとあがいてはいるものの、

俺自身寄りかかってるんだろう。ま、それもありか。



必要なのは「動く強さ」と「動かない強さ」。

俺に足りないのは動かない強さ。

力になりたいと思えば思うほど心があがく。

先生が言った一言

「君にできるのは『いてあげること』それだけ。」

最近ようやくその意味がわかったような気がちょっとだけしている。

それがどれだけ困難なのかも気づき始めた。

だからこそ俺は先生を尊敬しているのかもしれない。


必要ならば俺を求め、不要になれば離れていく。

俺は追いもせず、ただここに立つだけ。

本当の優しさというのはそういうものなんだろう。

すずらん通りに

久しぶりに行ってみたけど、大分様変わりしてしまったなあ。

もちろん悪い方に。

言われているように古本屋がつぶれまくってる。

中学〜高校時代回ってた本屋なんてほとんどなくなってた。

コンビニ増えすぎ。ってかイラネ。


時代と共に変化するのは致し方ないとはいえ、

世界に誇れる本屋街の変化の仕方にはちょっと寂しさを感じる。

言語が性格を作る

バイリンガル、話す言語により性格変えている可能性=米研究
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-32425020080625


これは分かる気がする。

俺もなんとなく考えていたし。

俺自身、日本語で話すより英語で話している時の方が

話し方に抑揚が出て少なからず明るさが出る気がするなあ。

もちろん話す相手の国柄や、文化が強くかかわっているとは思うけど。

でも言語にはそれらは少なからず必ず付きまとうものだろうし、

それを踏まえた上で言語による影響と言ってしまっていいのかもしれない。


ある妹の友人の話だが、

物凄く引っ込み思案で、言い方が悪いがお世辞にも美人とは

言えない顔立ちから社交性に強く欠けていた子がいた。

が、英語を学ばせてみるとみるみる性格が変わっていき、

アメリカに留学させると人一倍活発になり、

自分を表現できるようになったとか。

今では誰にも負けない強気な性格の持ち主と聞く。

「英語のおかげで娘は変わった」と親御さんはとても

喜んだらしいが、これもいい例の一つだろうか。


アメリカ英語とイギリス英語ではまた変わるのかもしれんね。

罪悪感

秋葉原通り魔、ネットで激怒
http://mainichi.jp/photo/news/20080610k0000e040072000c.html

今回もずれた日記を書いてみる。


「罪悪感とは何かを成した結果感じるものではなく、

罪悪感をもった結果、自分がそれに見合った人物に成ろうとする。」

事件を知った直後に知人のこの言葉が頭に浮かんだ。

簡単に言うなれば、「どうせ俺なんて価値のないクズなんだから、

クズらしい行動をすればいい」ということだ。


人間、自分に責を感じ、存在価値を否定し始めるとロクなことが

ない。そこに生じる攻撃的衝動は己に向くことも多いが、

これが他者に向くことも往々にしてありうる。

その結果起きた最悪の事態が今回のケースだろう。

折りしも同日に池田小学校事件の追悼式が行われた。

思えばあの凶悪犯宅間守にしても、事件後に

「自分のようなクズは死ぬべきだ」というような言葉を残して

いる。(正確にはよく覚えてない)


今後、この動機に関して様々な憶測や議論がなされ、

またそれに対する批判もなされるだろうが、このような精神変化

を生み出すに原因を一意に特定できるわけではない。

何度か日記でも書いているが、そこに至るファクターは何十とある

わけであり、「彼が何をしていたからその危険物を排除する」

といった安直な行動は控えるべきであろう。

その原因は生まれつきの性格であり、親であり、

友人であり、仕事であり、勉学であり。

まあ個人的憶測を言わせてもらえば、高校以降エリートとしての

自分を確立できず、またその中に存在価値を見出せなかった

というのはかなり重要な要素を占める気がする。

少なくとも親がその材料を一切与えていない可能性は高い。

もちろんその責を親にかぶせるのも筋違いだが。


精神鑑定の結果がどうなるかは分からない。

が、その根底には他者への憎しみ以前に、そこまでして

己を無価値と断じるいいようもない罪悪感ではないのか。

宅間守同様、広い意味ではやはり病気なのだ。


話変わるが犯人確保の前に倒れた人に駆け寄る警察官も聞こえ

はいいが、平和ボケしてる日本ならではの光景のような気がする。

たかがナイフ一本構えてるだけのヒョロ男相手に時間をかけたりと、

つくづく日本の平和っぷりを逆に感じた。

交番の優しいお巡りさんもいいが、

まずは喧嘩に長けてもらわなくては。

まあ平和な日本においてはそこにニーズがないのは

当然だしいたし方のないところか。




mixiで1週間前に書いた日記の転載・。・

いつも転載だけどっ