罪悪感

秋葉原通り魔、ネットで激怒
http://mainichi.jp/photo/news/20080610k0000e040072000c.html

今回もずれた日記を書いてみる。


「罪悪感とは何かを成した結果感じるものではなく、

罪悪感をもった結果、自分がそれに見合った人物に成ろうとする。」

事件を知った直後に知人のこの言葉が頭に浮かんだ。

簡単に言うなれば、「どうせ俺なんて価値のないクズなんだから、

クズらしい行動をすればいい」ということだ。


人間、自分に責を感じ、存在価値を否定し始めるとロクなことが

ない。そこに生じる攻撃的衝動は己に向くことも多いが、

これが他者に向くことも往々にしてありうる。

その結果起きた最悪の事態が今回のケースだろう。

折りしも同日に池田小学校事件の追悼式が行われた。

思えばあの凶悪犯宅間守にしても、事件後に

「自分のようなクズは死ぬべきだ」というような言葉を残して

いる。(正確にはよく覚えてない)


今後、この動機に関して様々な憶測や議論がなされ、

またそれに対する批判もなされるだろうが、このような精神変化

を生み出すに原因を一意に特定できるわけではない。

何度か日記でも書いているが、そこに至るファクターは何十とある

わけであり、「彼が何をしていたからその危険物を排除する」

といった安直な行動は控えるべきであろう。

その原因は生まれつきの性格であり、親であり、

友人であり、仕事であり、勉学であり。

まあ個人的憶測を言わせてもらえば、高校以降エリートとしての

自分を確立できず、またその中に存在価値を見出せなかった

というのはかなり重要な要素を占める気がする。

少なくとも親がその材料を一切与えていない可能性は高い。

もちろんその責を親にかぶせるのも筋違いだが。


精神鑑定の結果がどうなるかは分からない。

が、その根底には他者への憎しみ以前に、そこまでして

己を無価値と断じるいいようもない罪悪感ではないのか。

宅間守同様、広い意味ではやはり病気なのだ。


話変わるが犯人確保の前に倒れた人に駆け寄る警察官も聞こえ

はいいが、平和ボケしてる日本ならではの光景のような気がする。

たかがナイフ一本構えてるだけのヒョロ男相手に時間をかけたりと、

つくづく日本の平和っぷりを逆に感じた。

交番の優しいお巡りさんもいいが、

まずは喧嘩に長けてもらわなくては。

まあ平和な日本においてはそこにニーズがないのは

当然だしいたし方のないところか。




mixiで1週間前に書いた日記の転載・。・

いつも転載だけどっ