愛し方が分からない

金なく病院にいかず次女死亡
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071207k0000m040088000c.html


完全な機能不全家族

両親だけでなく、祖父や叔父も同居していたと

いうことだから、彼らも死亡した子供に対して関心を

抱いていなかったということになる。

たまに同じようなことを書いている気もするが、

気が向いたので今回も思いつきで書きなぐってみる。


子供に対して無責任な両親を避難する論もあるだろうし、

たしかに子供に対する愛情は欠落している可能性がある。

言い方を変えると、「愛し方」を知らない。

この両親自身愛し方を教えてもらっていないのであろう。


責任の所在を問われれば当然両親にあるし、

刑事的責任も負わされて然るべきだが、

では本人の自覚の問題でこの事件を回避できたか

というと、これはなかなかに難しい。


人が育つのに両親は必須ではないが、

やはり教育者は必要となる。

最近ではシングルマザーも増えているが、

父親不在が子供に悪影響を与えるのではなく、

父親の役割を果たす者がいなくなるのがまずい。

そういう意味では両親が存在しているからといって、

家族が機能するわけではない。

愛し方などとても抽象的で具体化が難しいもので、

両親がそのつもりでも子供がそれを感じていなければ

意味もなさなくなる。


夫婦、妻の兄、妻の父共に無職ということは、

同居の理由も経済的理由によるものが大きいだろうし、

妻方だけでなく、夫方の家族が機能しているかも

とても怪しいもの。


こういった負の連鎖は何世代も続く前に、

止めるのが然るべきだが、現実は偶然的な第三者

介入なくしてこれを緩和するのはかなり困難。


愛し方を教えてもらえず、愛し方がわからないままに子供を

産んでしまった家族の悲劇の一端だろうか。

まあ日本だからこそこれだけ取り上げられるのであろうが。


だが、「ほしくもない子供が生まれてしまった」といった

故でのこの事件ならありがちとも思うが、

長女が生まれた後に更に二人目を生んでいるのだから

望まれずに生まれてきたというわけでもないのだろう。

これが気にかかるところではある。

愛情や家族といったものの形が分からずに出会った

男女が、それを欲して「家族」を作ろうとしてみたものの、

その形が分からず戸惑いを感じ、結果起きた悲劇であろうか。

はたして第三者の介入の余地はなかったのか。

それが悔やまれるところ。


そして結果生じたのは、

今後夫婦に押し寄せるであろう、後悔・罪悪感の嵐、

懸命に育ち生を受けた子の早すぎる無念な死、

今後、長女にふりかかってくるであろう

肉体的にも精神的にもつらい大きな闇。

願わくば、今後長女に愛情を教えてくれる存在が

現れてほしいものだが…。



今回はいつも以上に思いつきで書いているので、

多分にツッコミどころ満載です・。・;