小学生の校内暴力が過去最多
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060914ddm001040005000c.html
mixiで他の人のところにコメントした時に思いついたので、
僕の存在を忘れられないためにも久々に何か書いてみよう。
この問題に関して直面すべきは他にあるかもしれないが、ちょっと無理矢理
方向性を違えて解釈してみる。
親のしつけの怠慢で子供が我慢の効かない存在に云々…、などと単純思考でこれについて
考えている人がいるとすればあまりに短絡的といわざるをえない。
そもそもが集団生活における社会適応能力を身につけさせようという
「学校」という場そのものが子供にとってあまりに不自然なのだ。
常に親と一緒に生活してきたのが、突然朝から昼〜夕方まで見知らぬ数十人の
中に放り込まれる。それに適応するためには心の基盤を作っておかねばならない。
子供にとって必要なのは、自分に無償の愛を向けてくれるいつでも帰れる場所。
母親の子宮とも言える自分を常に守る存在=親が必要なのだ。
別にこれは実の親である必要性はない。
シングルマザーであれば母親が父親の役目を担うであろうし、親戚の場合もある。
つまりは「家」だ。
また、同時に恐怖の対象でもある。そこに恐怖があるからこそ、
社会における恐怖(集団生活)における適応能力を身につけることもできる。
突然集団の中に放り込まれて「さー適応しろ」などと言われてもあまりに無理がある。
どう行動すればいいかわからないこそ、その不安を表現する必要が出てくる。
表現方法は様々だ。それに欠けた子供は下手をすれば最悪の行動をとるだろう。
また、そんな親を疎ましく思い反抗期が訪れるのもだからこそ自然な成長だ。
取り違えてはいけないのは、子供に常にアメを与え続けることが守ることには
つながらない。常に帰れる家を作りながらも恐怖感を持たせておく必要がある。
これがいずれかに偏ると、刑事犯罪、登校拒否、悪くすれば自殺などと行為に走る。
要はバランスの問題でもあるのだが…。
だが現実問題として親の判断にそれを委ね、教育を任せていて解決する問題
ならばそれだけ楽なことはない。
具体的な対策としては地域社会における共同体、また教師の現状について
考察する必要があるのだがあまりに長すぎるから書くのはやめておこう。
結局何が言いたかったのか分からないが。-w-
まあ子供は徹底的に愛してそして叱れ、ということです。
子供がいつでも帰れる「家」を作りましょう。
そしてそれを疎ましく思ってそのうち離れていくでしょう。