岡部幸雄引退

競馬ネタですが、知らない人にも読めるように書く…つもり。

多少競馬について分かると思います。(´ω`)



岡部幸雄

競馬を知らない人でもこの名前を聞いたことがある人は少なくないはずだ。

JRA通算2943勝(歴代最多記録)

GI31勝(歴代最多記録)

56歳での勝利(JRA歴代最高齢記録)

数々の記録を打ち立て、競馬を知る者ならば知らない者はない、

日本の競馬騎手の第一人者である。


しかし、彼の本当の凄さはその記録ではない。

たった一人で、単身競馬界に乗り込む勇気を持ち、

また成功させたというその生き方にこそある。


競馬界というのは世襲性という色合いが濃い。

特に日本はそうだ。

生産者、調教師、騎手、大抵は親戚同士でつながりを持っている場合が多い。

今でこそ、競馬に興味を持った少年が競馬学校に入ることも

少なくないが、昔はほとんどいなかった。

マイナーなスポーツだからというのも大きいだろう。

そして実力があれば認められる、という世界でもない。

野球、サッカー、テニスなどのスポーツとの最大の違いは、

強さの基本は馬そのものにある、という点である。


競馬の世界では馬七人三という言葉が有名だ。

馬の強さが7割を占めるという意味だが、実際は馬さえ強ければ

勝てるというのが実状である。

生産者は馬主のご機嫌をとり、馬を買ってくれるよう頼み、

馬主は仲のいい調教師に素質のある馬を託す。

息子が競馬学校に入学し、騎手としてデビューした時には、

すでに調教師や馬主とのパイプラインができており、

人付き合いが上手ければ強い馬に乗せてもらえ、成績を残せる。

今でもその色合いは残るが、昔はこの比ではない。

競馬関係者が親類にいる者とそうでない者とでは、

デビュー時における環境があまりに違うのだ。

誰しもが知る武豊などは正に典型的なこのサラブレット。

父の武邦彦は一昔前の競馬ファンにとってはカリスマ的な存在の騎手。

武豊の弟である幸四郎が初勝利を重賞で収めたのは驚かれたが、

乗った馬は父親である邦彦の厩舎の所属であり、また普通は

未勝利の騎手に重賞に乗る機会が与えられるなどということがそもそもない。


そんな中、岡部幸雄は競馬とは無縁の世界から競馬界に乗り込み、

見事に第一人者となってしまったのだ。

騎手となってからの行動も凄い。


競馬学校を卒業し騎手デビューをするとき、騎手は必ずいずれかの

調教師の専属となる。メリットは大きい。

調教師と騎手は師弟関係となり、その厩舎に所属する馬には極力

乗せてもらえる。また、成績を収められなくても厩舎から一定の

給料が出る。

そんな中、騎手として成績を収め始めた岡部は「フリー」となった。

厩舎所属ではなくなるので、一定の給料も出ない。

岡部の腕を見込んだ馬主が騎乗を依頼してくれなければ、

騎乗機会もなくなるのだ。

「騎手も実力の世界」

こういう理念を持ち込みたかったのだろうか。


当時日本の競馬のレベルは世界の一流どころに比べかなり低かった。

それに危惧した岡部は積極的にアメリカへ。

アメリカンスタイルという、今でこそ日本の騎手が取り入れている

騎乗スタイルを日本に持ち込んだのも岡部である。


だがそんな岡部も最近は目立った騎乗が見られず、

年齢による衰えは隠し切れなかった。

しかしその年齢実に56歳。驚嘆ものである。

競馬関係者を身内にもたない状態で単身乗り込み、

また日本競馬に数々の革命をもたらした騎手の引退。

日本競馬における一つの時代の終わりが告げられたと言っていいですね。

これから新しい時代の幕開けとなるのでしょうか。

本当におつかれさまです。 (´・ω・`)ゞ