日記連続更新(5/6)

ちょっと語ります。


家族は伊勢参り。ボクだけはずれる。

レンバ召還予定がなかなかおきてくれないので適当に何時間か散歩。

syaにヘルプコール送るも軽く無視される。

だが、なかなか充実して学べることもあった。

何せこういう地方を田舎にもたないので新鮮だ。

昼過ぎにレンバ召還に無事成功し、適当に喫茶店で語った後に送ってもらう。

夜は牡蠣フルコース。

美味すぎる…。全部で軽く2ダースほどあるのだが、新鮮なために臭みがなく嫌にならない。

酒も飲み、夜の8時頃早くも眠りにつくが、当然夜中に目が覚める。

こういうときにテレビも灯りもつけられないのはちょっと辛い。




ここから語ることはあくまで僕の考えなので、批判ある方はどうぞコメントください。


さてさて、散歩中に何をしていたかというと…。

公園をみつけたので散策してみると、ニホンザルやアライグマがオリに飼われており、

彼らと目で語り合った後、大きな芝生のグラウンドで子供たちが遊んでいるのを眺めながら

大の字で寝転ぶ。その後に街中をぶらついていると、テントをいくつかはりながら海産物を

売り出しているところが。「大敷汁1杯100円」という表示に非常にひかれる。

これは何かと聞いてみたところ、海産物や野菜を適当に入れて作る味噌汁をこの辺りでは

そう呼ぶのだという。牡蠣が3個も入っており、魚もあるがしかし臭みが全くない。出汁が素晴らしく、

ボクとしては前日に食べた伊勢海老の味噌汁と双璧をなす。


その後も道をぶらりと歩きながら歩いている人に道案内してもらったりしていたのだが、

街だけでなくとにかく人の雰囲気が都会と違う。

人と人とが触れ合う時の暖かさが違うのだ。


理由を考えるに資源の豊富さが関係しているのではなかろうか。

都会では資源がないために、それを手に入れるために金を必要とする。

そのために人と争い、勝利者たらんとすることを要求される。

勝利者といっても色々な意味合いがある。

スポーツにおける試合の勝者、経済的資産を手にした者など。

この場合の勝利者とは主に経済的勝利者を指し、高学歴や高収入を指す。

世間では常に人と人とが比較され続けるのだ。

だが、資源豊富な地方ではその争いを必要としない。

がために、お互い常に比較しあう必要がなく、卑下を感じることなく相手と接することができる。

争いあうのではなく、助け合う術を都会人よりも理解している気がする。


「幸せとはなんだ」よく耳にする話だ。

「沖縄の人たちは本当に幸せそうだ」などという話も聞く。

実際そうかどうかはともかく、では彼らと我々とどこが違うのか。

私はこう考える。

人間には、喜び、楽しさ、嬉しさなどのプラスになる部分と、

怒り、憎しみ、悲しみ、焦りなどのマイナスになる部分と存在する。

当然プラスが多ければ多いほど幸せなのだが、と同時にマイナスになる部分が少なければ

少ないほど幸せといえるのだ。彼らが幸せに見えるのは、プラス要素が多いからではなく、

その豊富な資源により、マイナス要素が少ないからなのではないだろうか。


この分析が正しかったところで何が癒されるわけでもない。

都会には資源がないのはどうしようもない事実だからだ。

だが、分かった上で考える方向を多様化することはできる。

かくいう私も人生の勝利者たらんとしている。

この場合の勝利者というのは私の中での勝利者という意味だ。

私の中で勝利者というのは、死ぬ間際に「生きてきてよかった」と

心から思える人間が真の勝利者ではないかと思っている。

自分が真の勝利者たりえるかどうか。

私の一生をかけての最大の課題である。


読み返してみるといつにも増してまとまりがないな…。

といって編集するのも面倒なので放置。(´ω`)