前回の補足
しゅがー以外にはイマイチ通じていなさそうなので補足を。 (in mixi)
そもそも、自分の全てを肯定できる人間なんてほぼ
存在せやしない。
自分に足りないところがあると思うからこそ、
そこを埋めようとするし、それを持っているように
見える他人にも憧れ、尊敬もできる。
だがそれを思えている時点で、その人間は自分のことを
認めているんですよ。
自分の存在を認めているからこそ、
どんなに自分が足りないと思っても前に進もうとすることができるし、
立つことができる。
そういう人たちは「生きて」いる。
しかし、それすらもできない人もいる。
自分の中に「核」がない。
「何が」足りないではない。敢えて言うなれば「自分」がない。
死んでないだけ。生きていない。
自分がないから、全人類の中で自分だけが特異な存在にも思える。
たしかに自分以外の他人が輝いて見え、
それは一見他人の存在を認めているようにも見える。
だが、果たしてそうなのか。
自分の中に核を持つことができなければ、
自分を変えようとも思えないし、
「自分と照らした上での他人」を評価することができない。
だって自分がいないんだから。
そんな人間がいくら「他人がまぶしい」と叫んだところで、
本当の意味で他人を評価できるのか、
という意味だと僕はこの言葉を受け取っています。
>たまちゃん
一応僕は自分を見ようという意識は持ってる人間ですよ。(笑)