核武装議論はするべきか
普通に考えたら「するべき」だろう。
世界唯一の被爆国の立場から、核放棄を強く唱えるべきだという意見がある。
だが「原爆はこわいんだ」などと言ったところでそれを知らぬ国は無く、
武装するかどうかの議論すら認めない、では説得力が無さ過ぎる。
核放棄を強く唱えたいのであれば、被爆国の我々がなぜ核武装をしないのかを
議論し、それが国益に反するという結論に達する論理を確立せねば。
と、言いたいがこれもなかなか難しい。
議論した結果、核武装を否定しきれなかった時がまずまずい。
そして核武装を完全否定する論理を確立してしまった場合もちょっとまずい。
これが核武装そのものに対する否定論を強く唱えることになると、
対象は北朝鮮だけでなく米を始めとした常任理事国へも同様に訴えねばならない。
これは日本の防衛システムの基盤である「核の傘」こと安保への否定にもつながる。
理想は「現状常任理事国の保有はやむをえないが、他国の保有は国益を損なう」
というのを日本国が保有した場合のシミュレートをして論じることだ。
だが、果たしてこれはできるのか?(´ω`)
大して考えてるわけじゃないが少なくとも俺にはそのような論理は見つからない。
まあ「持ち込ませず」なんて言ったところで、核の傘にいること自体が少々
論理矛盾をしている気がしないでもない。
俺は属国化している現状を打破するために、米の武力に対して日本の
技術なり金なり同等の価値を提供し、強い発言力を誇示するために
どうすればいいかが一番考えるべきことだと思うのだが。
正にペンは剣よりは強しを証明してほしいのですが
どうでしょか記者の皆さん。(´・ω・`)
と、テレビ見ながらなんとなしに思ったことを書いてみました。